心の中にある剣(思考と心を瞬時に断ち切る刀、力)・・・「感情に使われる人間」と「感情を使う人間」

今日は「心の話」である。

脳みそがお壊れになってるワタシの話だから

正常者の方には受け入れられない話かも!?である・・・。

 

心というモノは無色透明の「ただの力」である。

これに色をつけるのは自分の思考である。

思考というモノはただの物質で何の力も持ってないんである。

それで思考と心がくっ付くと感情という力となってその人に現れるのである。

怒る思考とくっ付けば「怒り」となり、

悲しい思考とくっ付けば「悲しみ」となり・・・

思考に「心という力」がくっ付いて表情や行動という人生に現れるんである。

なので、良い思考と心がくっ付けば良い人生になるんである。

しかし、そう簡単ではなく、

憎、怒、悲、哀、苦、貧、妬、恨、嫉、悪・・・

こんな思考とばっかり心がくっ付きやすくて、そんでシケたツラの人生になられる方が多いのである。

その代表が人類史上最低人間として生まれたこのワタシである。

長年に渡り、誰彼かまわずキレる怒る人生を歩んできたのである。

その繰り返しにより心の力が大きくなって、どんどんキレる怒るがエスカレートしていったのである。

本気になるほど心という力がどんどん大きくなっていくんである。

そのまま行ったらそのうち犯罪者に・・・

そんなワタシは幸運にも空手に出会い、空手の神ちゃまに出会ったのである。

空手の神ちゃまがワタシに与えた一番の課題が、

「キレるな!怒るな!」

だったのである。

そう言われてもそう簡単には治らないのである。

でも、ワタシは空手の神ちゃまの言うことを心から信じながら、キレて怒っては反省し…を10年以上繰り返し、

そんで心というモノは無色透明で澄んでいることがわかったのである。

心を汚すのは自分の思考だということがわかったのである。

でもこの思考というヤツもやっかいなヤツで、望もうと望まないと勝手に脳みそに入って来るんである

勝手に入って来るモンはどうしようもないのである。

ワタシに入って来る思考は、キレる怒るというようなモンばっかである。

そんでまたキレる怒るわけである。

しかし、ある日、ついに見つけたのである。

ワタシの

「心の中にある剣」

(思考と心を瞬時に断ち切る刀、力)

があったのである。

随分と前に空手の神ちゃまに、この剣の存在を教えられていたけれど10年以上をかけてようやく見つかったのである。

この剣を見つけてからは、キレる怒る思考と心がくっ付いた瞬間、

ズバッ!

で終わりである。

そのうち脳みそを漂う思考は出て行ってしまうんである。

そんで、キレる怒る思考に引きずり回されていたワタシのキレる怒るという行動は、

ワタシがこの剣を使うか使わないかに支配されたのである。

ワタシは「感情に使われる人間」から、「感情を使う人間」になったのである。

どんなヤバい感情になろうともこの剣を使って断ち切れば、瞬時に透明な心になれるんである。

思考は道具。心は命。なんである。

悪い思考という道具に命を与えなければなんでもないのである。

どなたにもこの剣があるのである。

どうか精進して見つけておくんなせー。

そして良い思考に命を与えておくんなせー。

 

今から筋トレである。

仕事中に何やってんの?って思考もこの剣でブッタ切り!である。

そんでバーベル担いでも微笑んでやるんである。

顔をにっこり緩めると心も緩むんである。

緩んでバーベルやると気持ちいいのである。

ワタシはキツいという思考の稽古はやらないんである。

で、スクワットは体重53kgなのに140kgくらい担ぐんである。

それでも微笑みながら緩んでやるんである。気持ちいいんである。

たまーに緩み過ぎて「あわや」ってなってビビるときもあるんである。

そんなビビりもすぐにブッタ切り!である。

そしてまた微笑んでやるんである。

ホント、おバカである。

ワタシの脳みそって一体どうなってしまったのかしらん・・・。

 

咲 心太郎

コメント