昨日、ワタシの住む福井県では21日ぶりに新たな感染者が0人だったのである。
ちょっとだけ、めでたし、めでたしである。心が笑顔になるのである。
なのに・・・
緊急事態宣言!
だってさ。ばっかじゃねーの。
遅いんだよ。国が出したときに出せよ。それでも遅ぇーけど。
ってか、出したところで自粛要請と何ら変わらんから大して意味ねーのである。
ホントもう、ちゃんちゃら可笑しいのである。あ、ワタシの頭が可笑しいのかしら。
そーやって、じわじわと庶民の生活と心をジリ貧にするだけである。
下っ端は、もー笑うしかねーのである。ワッハッハッー。
免疫力UPである。こんなときは、くだらんことでも笑ってやるのである。
で、ワタシはもうとっくにコロナちゃんは恐れるに足らずになってるのである。
この2ヶ月の間にワタシには病としてのコロナちゃん問題は終わってるんである。
最近では、いろいろ教えてくれるコロナちゃんに愛しさすら覚え始めているんである♡
まぁ、情報化社会と言われて久しいけれど、
今の時代はインターネットのおかげで、テレビや新聞のデタラメやら世の仕組みやら、
たくさんの暴露を発信している人がいて、いろんなことを知ることが出来るのである。
で、今回のコロナちゃん問題での仕組みもワタシなりに理解したのである。
コロナちゃん問題は、しばらくは大きな苦しみを与えるかも知れないし、
コロナちゃんによって死ぬことになるかも知れないけれど、
それらを凌いだその先には、大きな歓びが待っているんである。
その歓びを味わうためにも、自分で調べ考え、自分の覚悟などをしっかりと定め、
今、これからの自分が生きる心の中に一本の柱を立てるのである。
この一本の柱がある人間を強い人間と言うんである。
この一本の柱が天と地を繋ぐんである。
この一本の柱が正中線の正体なんである。
天と地が繋がれば、味方となって守ってくれるんである。
天と地から外れた、批判したりとか、敵対するなんて心は、もう古いのである。
コロナちゃん問題は、古い時代の終わりの始まり♪である。
新たな時代を迎えたい人は、以下の、ある偉大なる武道家の言葉を読んで、
今後の人生において、一本の柱を立てて、この言葉の理解に向かって歩んでちょ。
この言葉の理解度と実践が丹田になるんである。
そうして今から正中線と丹田を育てるんである。
正中線と丹田さえあれば、「何でもドンと来い!」である。
知らない間に洗脳されてしまった脳みそには難しい話だろーけど、
志のある人は、がんばって読んで、時間がかかっても心で理解してね。
武道の極意は、己れの邪気を払い、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある。武道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。そこには速いとか、遅いとかいう、時間の長さが存在しないのである。この時間を超越した速さとは、宇宙の永遠の生命と同化することである。では、いかにしたら、己れの邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。それには、まず宇宙の心を、己れの心とすることだ。宇宙の心とは何か?これは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。真の武道には敵はない。真の武道とは愛の働きである。それは、殺し合うことではなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。愛とはすべての守り本尊であり、愛なくばすべては成り立たない。武の道こそ愛の現れなのである。だから武技を争って勝ったり、負けたりするのは真の武ではない。真の武は、いかなる場合にも絶対不敗である。すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己れの心の中の「争う心」に打ち勝つことである。己れに与えられた使命を成し遂げることである。
このお方は、先日もブログに書いた、昭和の時代の偉大な武道家なんであるが、
このような方は、宇宙が進む遥か先の時代の世界や心を知っておられたのである。
未だ、完全な理解にはいたっていないワタシなんであるが、
この文章から、コロナちゃんへの対応の仕方や、宇宙の進む方向がわかるのである。
宇宙の進む方向から外れたら、どーなるか?は容易に想像がつくわけである。
今の人類は、外れかかっている・・・そんな状態なんではないかと思うんである。
でも、生きているってことは、まだ宇宙の進む方向から外れていないわけであるから、
この文章を熟読して、宇宙の心と共に歩める人間に成るのが各自の使命なんである。
ワタシもアナタも、みんなそれぞれの宇宙があるんである。
その宇宙は「愛」で出来ているんである♡
外国語のように思えた、この方たちの、これらの言葉の数々も、
長い時が経ち、理解を深めさせ、ようやくワタシの心に芽を出してくれた。
あとは花開くまで、これからも大切に育てよう。
この花の名は、もちろん「咲心」である。
咲 心太郎
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