海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part④

今日も昨日と同じく昨日のブログの続きでございます。

 

Part①は↓

海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part①
僕は、 一年ほど前、 カニの会社で働いていました。 この会社は、 以前勤めていたゴルフ場を辞めた後に、 友人の紹介で、 入社した会社でした。 主な仕事内容としては、 カニの配達や、 カニの加工、 冷凍庫にある在庫の整理整頓など、 いろんなこ...

 

Part②は↓

海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part②
今日は昨日のブログの続きでございます。 まだ、昨日のブログを見ていない方は↓から カナダに行くことになったのは、 4月の始め頃でした。 出航当日は、 朝の8時くらいに小松空港へ母に車で送ってもらい、 東京の羽田空港へ行き、 羽田空港で待ち合...

 

Part③は↓

海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part③
今日も今日とて、昨日のブログの続きでございます。 まだPart①を見ていない方は↓から まだPart②を見ていない方は↓から カナダに無事に着き、 時差の影響で、 とてつもない睡魔に襲われ、 泥のように眠ってしまった僕は、 部屋の窓のすき間...

 

カナダに着いてから1ヶ月が経ち、

カニの漁が解禁となりました。

 

いよいよ次の日から、

工場が本格的に始動し、

カナダでの仕事が始まるのです。

 

カナダでの初指導。

 

相手は、200人を超える現地のカナダ人。

 

うまく教えられるか心配だったけれど、

この仕事をやりきれば、

必ず、また一皮向けて成長すると思っていました。

 

そんな次の日に、

初のカナダでの仕事を控えた前日は、

誰がどこの場所を監視するのか、

どこの場所を教えるのかを決めるために、

フォアマン(リーダー的な人)を含めて、最終ミーティングをしました。

 

当時の僕は、

カニの加工を日本で機械を使って行っていたので、

最初はカニの加工場所の指導兼、監視を任されました。

 

そうして、

各々が自分の配置と役割を確認し、

その日は帰宅することになりました。

 

ちなみに、

初出勤の出勤時間は、

6時

でした。

 

なので、

5時半に起床して、

身支度を済ませて、

工場へ向かうという計画を自分の中で経てました。

 

まぁ、僕からしたら、

ここから地獄が始まっていたわけです・・・

 

次の日。

 

なんとか持参した目覚まし時計のおかげで、

5時半に起きられた僕は、

眠たい目をこすりながら、

歯を磨き、

顔を洗い、

身支度をして、

キッチンへと向かいました。

 

すると、

またキッチンの上には、

70歳の上司が作ってくれた朝ごはんが置いてありました。

 

ありがとうございます🙇

 

上司に感謝の言葉を述べて、

朝ごはんを食べました。

 

そうして、

皆が朝ごはんを食べ終わった頃、

工場へ向かうことになりました。

 

工場に着き、

作業着に着替えて、

髪の毛が落ちないようにヘアゴムを被り、

長靴を履いて、

カニの搬入が行われる場所で、

カニの搬入を待ちました。

 

その間、

カニを茹でるための窯の温度や、

塩分濃度の調整を行いました。

 

この工程が特に大事で、

少しでも数値が違ってしまうと、

茹でたカニの味がくどくなったり

薄くなったりするので、

カニの搬入が行われるまで、

念入りにチェックを行いました。

 

そうして、

チェックが終わった頃、

漁師が採ってきた、

カニが搬入されました。

 

カニはベルトコンベアーで外から工場の中へと送られ、

送られてきたカニは、

中でワーカー(働いているカナダ人)さん達が、

目や手で触った時の感覚で選別し、

実入りが良かったり、色が濃かったり、足がしっかりとついているカニは、

姿カニ(加工しないそのままのカニ)に。

 

スカスカだったり、色が薄かったり、足がついていないカニは、

加工カニとして、

窯へと送っていきました。

 

そうして、

窯で茹でたカニを再度、

ワーカーさん達が目や手で選別して、

加工をしたり、

箱詰めをしたりして、

製品を作っていきました。

 

これが、おおまかな加工の流れでした。

 

こんな感じで、

工場は動き始めたのですが、

なんと、

終わった時間は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22時!?

でした。

 

つまり、

6時からカニの搬入が始まり、

加工をしていき、

その日に搬入されたカニを全て捌き切ったのが、

22時だったわけです。

 

14時間労働だったわけですね・・・

 

しかも、

ずっと立ちっぱなしで、

カニの入った箱を運んだりもしていたので、

体力も削られまくっていました。

 

そして、

実は、

この日に入ってきたカニは、

工場で処理できるキャパを思いっきりオーバーした量が搬入されていたので、

捌ききれなかった残りのカニは、

全て外にある冷蔵倉庫へと保管することになりました。

 

後に、

この判断が、

とんでもないことを引き起こすなど、

誰一人、分かりませんでした。

 

そうして、

全員満身創痍の状態で、

一日目の工場での仕事が終わりました。

 

この日から、

5時半に起き、

22時、遅いときだと23まで仕事をして、

日を跨ぐくらいに寝るという生活が、

20日以上休みを与えられることなく続きました。

 

その間に、

僕は風邪を引いてしまうのですが、

その風邪のせいで、

1ヶ月以上、咳が止まらなくなり、

肺炎のようになってしまいました。

 

喋ろうとしても、咳が出てうまく喋れないし、

肺は痛いし・・・

 

最悪でした。

 

過度な労働と、

初めての長時間に渡る労働で、

精神的にも肉体的にも、

僕の身体は、おかしくなっていました。

 

ちなみに、

僕と一緒にカナダへ出張にきていた同期?というか友達は、

蕁麻疹が出て、

毎朝、そのかゆみと戦っていました。

 

それほど、

過酷な状況下で、

僕達は労働をしていたわけです。

 

そうして、

そんな地獄のような労働環境でも、

なんとか耐えて、

頑張っていた僕達だったのですが、

ここから、

さらなる地獄の階段を下って行く

ことになることを、

僕はまだ知る由もありませんでした。

 

Part⑤へ続く。

 

咲 心次郎

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