今日も午前中は「咲心棒☆」を担いで身体のあちこちを捻じ♪捻じ♪である。
その途中で咲心館の最年長のMさんが、
「こんなにいろいろやってる空手道場はどこにもないやろね。」
てな嬉しい言葉をくれたのである。
ワタシもMさんも前道場時代は、
その前道場長やその師匠さんがとにかく身体を鍛えさせる人だったので、
まぁ、知らない人が見たらビックリするほどの筋トレなどをやらされたのである。
時には、突き蹴りは一切ナシの筋トレだけ!ってな稽古の日もあったのである。
で、3回ほどランナーズハイみたいな感じで脳みそがぶっ飛んで、
それから2週間くらい、筋肉痛の超やべーやつ!になったこともあるのである。
で、ワタシは30代中頃に
「これは何かちょっと違うな・・・」
と、思うようになって身体をイジメるのは減らしていったのである。
後で知ったけれど、脳みそがぶっ飛ぶほどやるのは、
身体や心や精神には非常によろしくない!のである。
「強くしてるんじゃなくて、身体をイジメて弱くしてるのである。」
どんなに良いことでも、やり過ぎたらマイナスにしかならんのである。
ま、ワタシにはそれを知る良い経験にはなったが・・・
その弊害が今後の人生にはもうこれ以上、お出ましにならないことを祈るのみである。
でも、フルコン空手と言えば、「鍛える」、「強くなる」というイメージなんであるが、
それは戦争に負けて落ち込んで弱くなった精神と、戦後の食糧不足から弱くなった身体を
強くする必要があった、昭和時代のことである。
令和になった豊かな現代では、当時の空手のような精神的な強さはもう必要がないし、
栄養がしっかり摂れる時代であるからあれほど身体を鍛える必要もないのである。
昔は武士が刀を持っているのが当たり前で、
日々、その刀を磨き、また剣術を磨いたのであるが、
時代の流れで、刀の所持が禁止になり刀を持つことはなくなったのである。
で、刀を持たなくなったから武士はいなくなったのであるが、
武道家と呼ばれる、空手道や合気道などの達人と呼ばれる人たちが時代を超えて存在して、
刀を持った武士の「心や精神と意識」と「身体の使い方」が
刀から素手に形を変えて、細々と受け継がれているわけである。
さらに時代が移り変わり、空手の突きや蹴りも、昔の刀のように
もう、日常では絶対に使っちゃいけねー時代なのである。
その時代の流れで、これまでの空手の存在価値が段々と薄れていっているのであるが、
それに気づいている指導者は少ないんじゃなかろーか?と思うのである。
もう、突きや蹴りや身体を強くするだけの
ど根性比べの空手の時代は終わったのである。
この令和という時代にそんなことにお励みになると・・・
心が暗い人間になるのである。
人類全体に働く潜在意識の流れでそーなるのである。
で、咲心太郎は、空手の存在価値を上げるべく、また明るく楽しい空手にするべく、
いろんなあれこれを自分の身体を使って人体実験をやりながら、
その空手の稽古を通じて、
自分の身体、心、精神、意識、そして氣を使いながらいろんな身体の使い方をやって、
そんで脳みそにいろんな刺激を与え、脳を活性化させて脳力を上げて、
その人間が持つ能力をフルに使えるようになる空手☆
を考案しながら日々励んでいるのである。
で、自分の本当の能力が出てくれば、心が歓ぶのである。
それが咲心館の空手である。
人の人生は「脳みそ」で決まるのである。
「脳みそ」が貴方の人生そのものなのである。
その人生のすべては「脳みそ」が勝手にやってるのである。
なので、脳にどんな刺激を与えるか?が大切である。
「気持ちイイ」、「楽しい」という刺激を多く与えられた「脳みそ」と、
「痛い」、「苦しい」という刺激を多く与えられた「脳みそ」で、
どっちの「脳みそ」が良い人生になるか?
これを想像して選ぶのは自分である。
もちろん、どっちを選んでもイイ♪のである。
けど、今が「苦しい」てな脳みそで、その人生がイヤな人は、
「気持ちイイ」、「楽しい」の「脳みそ」を育てる、咲心館へおいでよ♪
あ!けど、咲心館の空手は「難しい」んだったっけ!?
「難しい」もイヤだな・・・汗。
咲 心太郎
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