「知を越える山」の「知を越えたパワー」、おじいちゃんもオレも頭がおかしいのか・・・。

動画編集を始めてからおよそ3ヶ月、

これまでに40数本の動画をアップしたのであるが、

今回の動画は、「けっこう上手く出来たな。」と、

自分では思うのであるが、みなさんにはどーですかねー。

アップしたので是非観てくださいませ。

 

 

福井市と丹生郡越前町の境に在る標高612.8mの「越知山」である。

「白山」を開山した泰澄大師が、若かりし頃は修行し、また晩年を過ごした山である。

ワタシは30代半ば頃に「白山」が大好きになって、この泰澄大師のことを知り、

そんで、この「越知山」のことを知ったのである。

が、「高望み」をする性格が、低い「越知山」よりも、高い「白山」を好んで、

ずっと、「白山」ばかり登って、「越知山」に登ることはなかったのである。

 

それが、3,4年前に急に「越知山」に登りたくなって、

初めて登ったのであるが、その何とも言えない「越知山」の素晴らしさに感動して、

「こんな近くにこんなスゲー山があったんだ!」

と、(もう「白山」まで行かなくてもいいかも・・・)と、思ったのである。

いつからか、ワタシはいつも山にパワーをいただきながら生きているのである。

「白山」に関係する山や神社に行くと、パワーをいただけるのである。

そう、ワタシは知らぬ間に「白山」信仰者になってたのである。

 

この泰澄大師が「山岳信仰」の祖とワタシは認識してたのであるが・・・

今回の「越知山」登山で、

また山頂神社のおじいちゃんにたくさん話を聞かせてもらえたのである。

その話の中で、

「越知山信仰は縄文時代、いやそれ以上、古いかも知れない・・・。」

 

おー、そーゆーことかー!

 

初めて「越知山」に来た時、あの「何とも言えない感動」の意味がわかったのである。

「白山」のパワーの根源が「越知山」なのである。

まぁ、これはワタシの直感でもあり、また妄想とも言う。

しかし、ワタシにはしっくりと「知を越えた」理解に至ったのである。

ま、「知を越える山」が「越知山」ということである。

神が「越知山」の「知を越えたパワー」をたくさんの人々が受けられるように

泰澄大師を使って「白山」を開山して知らせた・・・

これもワタシの脳内に浮かぶ妄想である。

で、それに関する仕事が済んだ泰澄大師は「越知山」へと戻り、晩年を過ごされた・・・

これで、これまでのいろんなことがワタシの中で腑に落ちた!のである。

 

まぁ、「氣」というモノにちょっと敏感になって、

「越知山」や「白山」に登れば、まんざら妄想でもないと思う人もいると思うけれど、

科学的根拠の無い話は、「インチキ」だの「頭がおかしい」だの・・・と

思われる時代なので、ワタシの脳みそはおかしいということである。

 

で、この「知を越えたパワー」を何とか「知」を使って、科学的に書いてみるのである。

あらゆる場や物体には「振動」が起こっていて、その「波動」が互いに影響を及ぼすのである。

人間同志も、人間と動物も、人間と植物も、土も石も・・・何もかも。

で、山という場にも「振動」が起こっていて「波動」が出ているのである。

山の土、水、石、木、草、花、動物・・・

それらから出てる「波動」を我々人間は知るが知るまいが受けるわけである。

この「波動」は人体の細胞にはとても「良い波動」で、細胞が活性化するのである。

細胞が活性化すれば、それまでの自分とは何かしら変化が生まれるのである。

この「良い波動」が最も出てる山が「越知山」だということである。

また「越知山」と「白山」は、ほぼ同じ「波動」ということである。

で、「知を越えたパワー」とは、「波動」のことである。

この「波動」は感じることしか出来ねー、「超微細なモノ」なのである。

 

今回の動画の中で、山頂の神社でワタシが太鼓を打ってるシーンがあるのであるが、

アレは音だからか、パソコンの画面越しでも「波動」が伝わって来て、

山で太鼓を打った時と同じような身体の反応が起こるのでビックリである。

まぁ、何も感じない人もいるだろーけど。

 

何百年もこの山と神社を守ってきた家系の90歳にもなる、このおじいちゃんが、

「この山はパワーがあるんじゃ。」

「比叡山や高野山よりも、この越知山が遥かに先じゃ。」

「ここは神の山じゃ。」

と、言うてんだから・・・信じれる・・・だろ。

あ!このおじいちゃんもオレも、頭がおかしいのか・・・。

 

咲 心太郎

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