損をしてるような人生に「徳」が積まれる。

今日は、回転灯も回さずシャッターも閉めきりの開店休業中のお店に、

朝から普通に営業してるときのようにお客さんが来るのである。

週に1回くらい、こんな日があるのである。

1月の大雪から開店休業状態になって、もう3ヶ月になるのであるが、

こうして常連さんたちが何事もないかのようにご来店してくれるのである。

で、「大変だろーけど、何とかがんばって。」

とか、

「お店、辞めないでね。」

なんて言ってくれたりするのである。

そんで、全然少ない売上の利益と空手の報酬と給付金の残りで何とかやりくりしながら

経営を続けているのである。

 

で、「さて、これからどーしよー。」

 

屋根を撤去するにもけっこうな費用がかかるし、

新たに屋根を取り換えるなんてなると、もうおったまげな費用である。

で、続けるならば、何とか屋根を撤去だけして「青空営業」ってことになるのであるが、

この歳になって、雨風に打たれながら儲からない赤字のお店をがんばれるかな・・・

まぁ、毎日あれこれと考えるのであるが、答えが出ないのである。

これが生きる意味、生きる価値である、「悩み苦しみ」というやつである。

変人の咲心太郎はたくさんの「悩み苦しみ」にも慣れて、その人生を楽しむのである。

で、慌てずにゆっくりと考えるのである。

 

親父が死んでワタシが社長になった20歳の当時は、お店も大繁盛で、

「社長、社長。」と、いろんな人がワタシを持ち上げながら寄って来たのである。

で、世間知らずで、ちょっとエラそーな性質を持つワタシはイイ気になってまんまと乗せられて、

今にして思えば、いろんな大人たちにいいように利用されたのである。

そんで、商売が上手くいかなくなった途端、こういう連中は、

「金の切れ目が縁の切れ目。」

ワタシからはもう「得」がないとわかると手の平を返したような態度に変わり、

みんな去って行ったのである。

で、エラそーな人間ではあるけれど、人を信じる性質も併せ持っているから、

この連中をみんな心から信じていたので、この時は相当に落ち込んだのである。

で、この世には「血も涙もない」ような人間がたくさんいることを知ったのである。

 

「もうお店を続けられない・・・。」

そんな風に思えるピンチがこの10年ほどの間に幾度と訪れたのであるが、

その度に手の平を返して去る人間や敵対関係に変わる人間が現れて、

相当に苦しんだのであるが、「もうダメや。」と思う状況にまで追い込まれると、

何故だか?ワタシに救いの手を差し伸べる人が、新たに現れてくれたのである。

で、ワタシには、感謝しても感謝しきれない人が何人もいるのである。

この人たちのおかげで、今でもお店があるし、

また本当の「感謝」という心を知らせてもらえたのである。

 

商売ではお客さんに「感謝」の心を持てとよく言われるのであるが、

商売が上手く行ってたときも「感謝」してたけれど、

この時は、購入いただいて利益と言う「得」をいただいたことに「感謝」してたのである。

それが、今じゃ~、屋根が傾いたボロくて危険なお店なのに、

すぐ近くに他のガソリンスタンドがあるのに、

ワタシですら、「こんな店でガソリン入れんだろ。」と思うようなお店に

こうして来ていただけるお客さんからは「徳」をいただいていることに「感謝」するのである。

また、「徳」に「感謝」出来る人間になれた、この人生に「感謝」である。

 

人生は捨てたもんじゃねーのである。

こんなワタシですら応援してくれる人がいるのである。

苦しみ悩む心の人には「がんばって。」なんて言っちゃいけないと聞くが、

ワタシはこの「がんばって。」と言ってくれる温かさに励まされてきたのである。

生きてるってことは、「誰か」が「何か」が自分を応援してくれているのである。

それが今、周りにいなくても、その内あなたの前に現れるのである。

もしも、本当に誰もいなくなったら、この世には生存出来ないのである。

で、生きてる限り、悩み苦しんで「がんばる」のである。

そして、

「損」をしてるような人生に「徳」が積まれる。

と、人生の長いどん底というモノは、ワタシにいろんなことを教えてくれたのである。

で、まだまだこれからも、

「さて、これからどーしよー。」

と、悩み苦しむのである。

その答えはいつか必ずやって来るのである。

それまでの答えが出ない日は、

 

「何とかなるさ♪」

 

いつもこの答えの日々である。

 

咲 心太郎

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