ワタシは30歳から40歳までの10年間、たくさんの本を読んだのである。
ロクでもない生き方をしていたワタシが、古の偉人、聖人、賢人・・・と、
まったく生き方に合わないような人たちの教えを学ぶようになったのである。
最初に読んだときは、なんのことやらチンプンカンプンだったのであるが、
なんとな~く良い教えだろーと思えて、わからんなりに読み続けたのである。
で、20年の時を経て、それらの教えがなんとな~くわかるようになってきたのである。
知識としてあったこれらの教えが、ワタシの中で生きた教えになったのである。
これら、古の教えというのは、永い時を超えて生き続けているのである。
そして、その生きモノを後世の人がまたいろんな形に表して受け継いでいるのである。
この生きモノが、武道の世界では、技となり、さらに術となり、武術になるのである。
この生きモノを学ばない限りは、どんな優れた動きであっても、
武術とはならず、格闘技もしくはスポーツなんである。
武術と格闘技、スポーツは、その根幹とその効用がまったく違うのである。
古の人たちの教えは、この根幹を教え、この生きモノが流れるように導くのである。
日本では明治維新以後、外国からいろんなモノが入って来るようになり、
また敗戦後、アメリカによる、日本人から大和魂を抜き去ってしまおう政策によって、
これら古の教えが失われつつある現代日本人の暮らしである。
その外国の教えやモノが悪いわけではないけれど、
日本人としての教えを知らない、わからない状態で、外国魂でいるのは問題である。
ま、いよいよの窮地に立てば、遺伝子によって、これらの教えが勝手に活かされるが、
そんな窮地になる前に、今、自ら、教えを学び実践するチャンスだと思うんである。
これからは、これらの教えが活きてくる時代になると思うのである。
これらの教えを受け付けない人には、しばらくは厳しい時代になると思うのである。
どうせ家から出ちゃダメなんだし・・・
学んでおいても損でもないし・・・
読書をしよう♪
日本にはたくさんの素晴らしい教えがあり、日本人で良かったナーと思うのである。
咲 心太郎
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