「立禅」と「正中線」・・・人には無限の可能性がある!ってな話。

軸と中心・・・

武道に限らずスポーツなどでも

よく聞く言葉なんだけど、

これは、

ボクの空手では、

正中線と丹田のことだ。

現代では、

この正中線と丹田を自覚している人や

自覚はなくても、それを意識して生活をしている人は

あまりいない。

それどころか、

スマホやパソコンに向かってる時間が多く、

また間違った身体の癖や使い方によって、

正中線は折れ曲がり、丹田は抜けちゃってるという

そんな人が多い。

 

丹田はともかく、

正中線は自覚が出来る方が良い。

その正中線とは、

天と地を繋ぐ力の通り道!

ここを通る、

この力がボクを2本足で立たせてくれているということを

10年くらい前に体感で知った。

これは「立禅」によるものだ。

 

この「立禅」の時に正中線の自覚が出来て立つと、

必要最小限の筋力で立つことになり、

身体から余分な筋肉の緊張が取れて身体が緩む。

これは表層筋肉をほとんど使わずに

深層筋肉を使って立つようになるからだ。

その感覚で日々、「立禅」の継続をしていると

どんどんと身体が緩んでいって、

やがて「統一体」という感覚が現れることになる。

この「統一体」とは、

文字通り、統一した身体・・・

足の先から頭のてっぺんまでの身体の中の力感が均一な状態!

こんな感覚を覚えるのだ。

さらに

その感覚で「立禅」を続けていくと・・・

また新たな感覚が生まれてくる・・・

稽古とはその繰り返しだ。

 

この正中線が自覚出来ていない人の最大の特徴は

頭が落ちている!

つまり、

顎を引き過ぎてるか

顎が上がり過ぎてるか

どっちかになる。

どちらにせよ、

頭が落ちると、正中線は折れ曲がり、

胸が閉じて、肚は抜けて、腰が引けた状態になる。

その状態で立っていたり、座っているには、

表層筋肉の力で身体を支えることになるのだ。

それは人間を立たせている力はとても弱い力だから。

その力が正中線を通って立たせてくれているのだけど

身体のてっぺんにある頭が落ちていると、

立たせている力の働きが弱まるために

たくさんの筋肉で身体を支えることになる・・・

人間の頭というのはめちゃくちゃ重いのだ。

これが常に無意識、無自覚で行われている・・・

なので、

自分の身体の筋肉に力が入っていることがわからない。

そうして、

それが続いて身体の癖となり、

常時、筋肉に緊張が入った状態になって、だんだんと固まっていく。

腰痛、膝痛、肩こり・・・

ほとんどの原因がコレだ。

 

ボクは、去年からユーチューブを始めてその編集作業や

また、このブログなど、

この1年は、パソコンに向かう時間が大幅に増えた。

それで、最近は、ずっと、

右の首が凝り固まって痛みがある。

これは、

画面を覗き込むのに夢中になって、

正中線を忘れて、

頭が落ちて、胸が閉じて、肚が抜けて、腰が引けた状態で

長時間にわたって座っているからだ。

そして

ブログを書いてる今、

やっぱり首に痛みを覚える・・・

それで、正中線を意識すると

頭が上がり、胸が開き、肚が据わり、腰が立つ・・・

という、

椅子に座っているボクの姿勢が変わって、

その瞬間に首の痛みは消える。

この状態を保って数日過ごせば、

首は治ってしまうのだけれど、

つい、パソコンに夢中になると

長年の身体の癖が無意識に出て、

正中線を失くした状態になってしまう。

それで、

この首の痛みは慢性化しつつあるが、

それでも、

正中線を働かせた瞬間に痛みは消え、

働かせてる間は、その痛みが現れることはない。

ホントに不思議だ。

こんな身体の神秘を知れたボクは幸運だと思う。

今からは

この姿勢のままで書くとしよう。

 

また、

空手では、

顎を引いて、頭から突っ込むように前に出て、

攻撃を繰り出すのが良いように思われてたりもするが、

先述の通り、

その立ちの姿勢を支えるために多くの表層筋肉が使われているため、

その技の威力は半減以下になってしまう。

しかし、

その表層筋肉をたくさん使って固まった身体には、

技を当てた反動の衝撃を強く感じるために

その衝撃を手ごたえとして、技の威力だと勘違いしている人が多い。

自分に衝撃があるのは、

相手に力が行っていない!

ただ、それだけだ。

また、

この「立禅」での深層筋肉だけで立つ感覚のままで動き、

その感覚のままで技を出せば、

相手の深層に効かせる突きや蹴りになるし、

合気の技にもなる。

表層筋肉が主体の技は、

持って生まれた才能や年齢がとても影響するけれど、

深層筋肉を使った技は、誰にでも無限にあるように感じる。

それがまた果てしなさ過ぎて、

途方に暮れそーになる時もあるけれど、

やっぱり、

人には、無限の可能性がある!

と、ボクは思う。

が、

あれ、

また首が痛くなった・・・

知らぬ間に

またパソコンの画面につんのめってるじゃねーか!

それで、

胸が閉じて、肚は抜けて、腰が引けてる・・・

どおりで、首が痛ぇーわけだ。

これが

これまでのボクが「自意識で作った無意識」の為せる技だ。

この「自意識で作った無意識」を「癖」と言う。

こんな「癖」が出たままでは、無限の可能性が開かれるところか、

これまでの繰り返しにしかならない・・・

そして首は悪化する一方だろう。

 

だから

このボクの「癖」の「良い癖」はそのままに

「良くない癖」を変えて行くことを

ボクは「稽古」と呼んでいる。

これは、

身体だけじゃなくて心もだ。

そして

たくさんの「悪い癖」見つけて、

少しずつ「稽古」で変えて行く・・・

それを空手という

超優れモノのツールを使ってやっている。

身体と心の「癖」が変われば「技」も変わる・・・

そして、

人生も変わって行くのだろー。

 

咲 心太郎

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