自分の力の全てを発揮できる状態になれる!?・・・「脱力」の話。

武の究極を求めて「悟り」だの「無の境地」だの・・・「神」だのと

まぁ、ワタシというおバカったらサ、さらにバカになって空手をやってきたのネ。

 

毎日サンドバックやらコンクリート壁をドツき、砂袋を蹴っ飛ばし、

体重の2倍3倍のバーベルを担ぎ、鉄アレイを持ってシャドー、

鉄アレイで体中を叩き、ビール瓶で脛を叩き、拳立てや腹筋や階段ダッシュ・・・

組手はいつだってガチンコ・・・ゲリピーでもセキコンコンでも骨ポキだろーと。

 

そんでも武の究極なんてぜんぜんわかんねーから

毎週本屋へ行って何百冊という本を買ってきて暇さえあれば読書して頭に叩き込み

その影響で今度は登山を始めて白山を中心に立山やら剣岳やらと・・・

山へ無謀な挑戦もして死にぞこないも何度やら。もうホントにバカなんだから。

 

それでも「神」に会えねーから今度は神社へGO~。

白山神社、玉置神社、サムハラ神社、瀧原宮、大神神社、伊勢神宮、熱田神宮・・・

あちこちの神社に行ってるけど会えなくて・・・居るのに会えないのってなんでやろ。

 

ならばと「氣」というものに目をつけ「氣」は神に通じてるんじゃないかと

「氣」を独学でイジりまわし情緒が不安定になってハイになったりボーってなったり、

食欲が全くなくなったり、身体中がビリビリムズムズとヘンな感じになったりと・・・

 

そんなおバカなワタシが求める究極を知るであろうと思える師匠に出会い、

でも、どこからどう見てもワタシより弱いやろッ!としか思えない人に

ワタシがこうしてやってきた20年の全てが・・・いや人生40年の全てが・・・

筋力も体力も技も心も精神も思考も意識も何もかもがまったく通用せずに

操り人形のように扱われた。

のでした。

 

毎日毎日必死なおバカになってやってきた「自分の全て」が通用しなかった・・・。

わかる?このときのワタシの気持ちが?

相当な負けず嫌いのワタシの気持ちが?

「わかる人は手を上げてー。」

ブログでどうやって手を上げんだよッ。

パソコンの前で上げた人がいたりして・・・笑

ということで、今日は「脱力」を語ってみるのである。

あ、ワタシがほら吹き武道家♪であるのは念を押しておきますネ。

 

武道に限らずスポーツでもお仕事でもお勉強でも・・・

なんでもかんでもがんばるときにはどなたも身体が緊張して硬直するのである。

身体が緊張して硬直した状態では本来持っている力が発揮されないのである。

それで「脱力しろ。」、「もっと力を抜け。」とホントはわかってないくせにわかったふりした先生たちが言うのである。

「脱力」という言葉を知っているのと「脱力」が出来るのとは違うのである。

筋肉を疲労困憊にさせて「脱力」なんて言って教えてるお勘違い先生もたくさんいるんである。

疲労困憊の状態にならなきゃ出来ない脱力ではまともに動けるわけがないでしょ。

そんで出来ないわかってないから脱力しろとか言いながら「集中しろ。」なんて言っているのである。

集中したら緊張して硬直するんである。デタラメを生徒さんに言っちゃいけないのである。

生徒さんはデタラメを信じたらあかんのである。脱力しなくちゃいけないときは集中しちゃいかんのである。

「脱力」とは「緩む」ことである。集中を切って緩ませなければいけないのである。

「脱力」とは身体が緩み心も緩むことである。とは言うても全てを緩ませたら立っていられないのである。

なんにも出来なくなってしまうのである。

そこで丹田と正中線だけをほんのちょっとだけ締めて姿勢を崩さずに頭のてっぺんからつま先まで、

全身の隅々までドロドロに緩ませるのである。

呼吸はゆ~ったりとして気持ち良いなぁと思えるように緩ませていくのである。

これをやるのに必要なのは筋力じゃなくてイメージ力である。そしてがんばらないことである。

こうして丹田と正中線以外の「全てをダラケさせる」のである。これが集中と脱力が同時に出来た状態である。

自分の力の全てを発揮できる状態である。

この状態を知り、この状態をより育て、常にこの状態から動けるようにするのが稽古である。

またこの状態になると毛細血管が開き血流が良くなり細胞たちも活発になり、

氣道も開き身体の氣流が良くなり頭に上った氣が下がり身体と心にも大変よろしいようである。

身体や心を固くすることばっかやったり頭ばっかに氣を上げて身体の氣をおろそかにするから身体と心が弱くなるんである。

身体と心を緩めて少しでも良い状態になれば元気が出るのである。

「元気があれば何でも出来る♪」のである。

「元気があれば笑顔になる♡」そんなあなたの笑顔を神ちゃまは喜んで神ちゃまも笑顔になるのであーる。

 

操り人形にされたあの時のワタシの気持ちはどなたもいつか味わえるのである。

その日がやって来るのか?またその日を歓べるか?は、

あなたの生き様にかかっているのである。

気張らずに「脱力」しながらがんばれー。

空手もブログを書くのも元気いっぱいで♪・・・そんで神ちゃまの笑顔が見てみたい。

 

咲 心太郎

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